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  • 2019.12.19 Thursday

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    今年の勉強会終了

    • 2019.12.18 Wednesday
    • 23:42

    こんにちは。

     

    勉強会をやることにしたという記事を以前投稿しましたが、つい先日年内最後の勉強会を終えました。

     

    以下の書籍や論文を読んだり、参加者の研究経歴についてざっくばらんに話をしました。

     

    第1回:稲葉振一郎『社会学入門・中級編』有斐閣

    第2回:Mario Luis Small "‘How many cases do I need? ’ On science and the logic of case selection in field-based research”

    第3回:ハワード・S・ベッカー『社会学の技法』恒星社厚生閣

    第4回:木下衆『家族はなぜ介護してしまうのか』世界思想社

    第5回:山田哲也「不登校の親の会が有する〈教育〉の特質と機能」『教育社会学研究』第71集

        :山田哲也「PISA型学力は日本の学校教育にいかなるインパクトを与えたのか」『教育社会学研究』第98集

        :松田洋介「職業教育という〈教育〉言説」『〈教育と社会〉研究』第18号(PDF)

        :高橋均「差異化・配分装置としての育児雑誌」『教育社会学研究』第74集

       *B・バーンスティン祭り

    第6回:小熊英二『日本社会のしくみ』講談社現代新書

    第7回:久保明教『ブルーノ・ラトゥールの取説』月曜社

    第8回:ユーリア・エンゲストローム『拡張による学習』新曜社 

       *諸事情により中止

    第9回:中西新太郎『若者は社会を変えられるか?』かもがわ出版

        :富永京子『みんなの「わがまま」入門』左右社

    第10回:ピエール・ブルデュー&ロイック・J・D・ヴァカン『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待』藤原書店

    第11回:参加者が研究キャリアと今後やりたいことについてざっくばらんに話す会

     

    基本的な勉強会の進め方は、課題書籍について私と他の二人の参加者がハンドアウトを準備し、それをたたき台にして議論するというものです。本の選択は、主に私がその時に読みたいと思ったものですが、事前にいくつか候補を出して、参加者の反応を見て、決めることもありました。

     

    こうして見ると「結構読んできたな」と思います。参加者の研究領域は(社会科学という点での共通点はあるものの)異なっていて、それが生産的な議論に繋がったと感じています。異分野の研究者が集まるからといって領域越境的かつ生産的な議論になるとはかぎらないように思いますが、少なくてもこの勉強会についてはよい方向に作用しています。

     

    また、強く感じているのは、研究の意欲を持続するには(少なくても私には)「仲間」が必要ということです。私にとっては科研等の共同研究、そしてこの勉強会のような場があるからこそ、なんとか研究者(未熟な研究者ではありますが)であることが出来ています。

     

    ということで、来年も継続していく予定です。可能であれば、書籍や論文著者にご参加いただくという企画もやってみたいです。

     

    研究時間なかなかとれないから勉強会をやることにしました

    • 2019.08.15 Thursday
    • 12:18

    こんにちは。

     

    研究者同士が会うとだいたい「忙しい。研究時間をとるのが難しい」という話になる。そういえば、最近英語圏で初期キャリアにある研究者の「オーバーワーク」問題等に関する記事も読んだ。

     

    自分も「研究時間を取るのが難しい」と悩む一人だ。日々試行錯誤している。タイムマネジメントに関する本をいくつも読んだり(例えばジェイク・ナップ+ジョン・ゼラツキー『時間術大全』ダイヤモンド社)、“チャーリー”こと鈴木謙介先生のブログ記事「「自分の仕事」がいつも後回しになる理由)を読んで時間管理アプリであるtoggleを導入したり、菅野仁先生の『18分集中法』(ちくま新書)で言及されている集中法を取りいれたり等、とにかくよさそうと思ったものは何でもやってみている。

     

    それらによってどれだけ時間を効率的に使えるようになったかは正直よくわからないが、ともかく時間とコストの関係を強く意識するようになったのは間違いない。

     

    が、それだけで研究時間が増えるわけではない。教育もちゃんとする必要があるし(授業準備、授業実施、課題をLMSにアップ、学生とのコミュニケーションツールである「大福帳」に毎週コメントを書いて返却、授業でコンピューターを使う必要があればその教室予約、授業の合間の学生面談等など)、学内業務もそう。学習・教育開発センターという教育改革・改善に関する企画・運営を主に担う組織の副センター長という立場でもあり、その業務もある。自分にとってこの業務が一番重く、業務量も多い。「夏休みって先生なにしてんの?暇でしょ?」と学生に言われたこともあるが、授業がないという意味では確かにそのぶん時間が増えるのだが、この時期まで成績をつけたり、学生の提出物に関する連絡をしたり、次年度に向けた業務が既に動いており、それをあれこれとしている。勤務先の場合9月初旬に教授会があり、そこから実質的に後期スタートなので、「夏休みっぽい」のはお盆から8月終わりまでとなる。ともかく、あれこれ業務をしていると、研究時間がなくなっていく(研究も業務ではないか?と問われるとそうで、この問題はきわめて大きいと考えているが、いったん脇に置く)。教育も学内業務もちゃんとする必要があるが、研究もしたいのだ。どうすればいいのか。

     

    私がなんとか研究者でいることが出来ているのは、科研の研究仲間のおかげという面が大きい。ありがたいことに複数の科研の分担者、連携研究者となっている。科研の研究会が終わると自分の不勉強さを痛感して落ち込むときも少なくないが、「やはり研究はオモロイな」という気持ちになり、気分が高揚する。正直この業界にいてシンドイと思うことも多々あるが、研究仲間と研究についてあれこれ会話をする楽しさが自分を情緒面で支えている。そして、科研関連の書籍執筆、論文執筆、調査実施、調査計画等などの予定(締切)があるおかげで、“強制的”にどこかに研究の時間を差し込む必要が生じ、研究することができている。

     

    とはいえ、科研・科研仲間に助けられた形ではない形で研究モードにもっていくようにしたいとの気持ちがあり、数ヶ月前から勉強会を主催している。最初はオフライン(対面式)でだけ行なっていたが、最近はオフラインとオンライン併用でやっている。今まで勉強会なり読書会なり研究会なりはその場にみんなで集まってやるものと思っていたが、skypeやzoom等を使えばオンラインでもやれると気づき、活用している。いわゆる「研究大学」勤務の研究者であれば学内の同僚や大学院生、あるいは近隣地域の研究者と集まって研究会を開催したり(もちろん最近はそれも難しいと思う)、大学院の授業で専門書を読むことが出来るのかもしれないが、私のように「地方」の(教育を重視する)中規模大学勤務ではそれが難しい。また同じような研究背景をもち、仲も良かった(と私が勝手に思っている)竹端先生が転出した影響が大きく、学内で仕事を離れた研究の話をざっくばらんにする同僚がいなくなってしまったこともあった。そうした状況を、オフライン+オンライン併用勉強会によりある程度打開できたと感じている(竹端先生にご参加いただくこともあり)。

     

    勉強会で何を読んできたのかというと、例えば、Mario Luis Small「'How many cases do I need?: On science and the logic of case selection in field-based research'」、稲葉振一郎『社会学入門・中級編』(有斐閣)等である。ハンドアウトは、私ともう一人レギュラー参加の先生が基本的に作成している。

     

    研究者が教師として教壇に立つのが大学という教育機関の特色のはずだが、多くの大学で働く〈研究者=教師〉にとって研究することは難しくなる一方だ。所属機関批判だと思われたないので急いで付け加えておくと、勤務先の担当コマ数は私学としては多いほうではないし、研究費も平均レベルではないかと思われる。先日、知人に「もし休みがとれたら何したい?」と聞かれて「本(専門書)をゆっくり読みたい」と答えたら「それ休みじゃないじゃん」と言われたが、同じように答える研究者も多いのではないか。オフライン+オンライン勉強会は自分にとって「研究時間がとれない」という状況を僅かながら変える試みになっている。「その勉強会をする時間もないんだよ!」という方もおられるとは思うけれど。

     

    だから、「みなさんやってみてください!」と主張したいわけではなく(それぞれに固有の事情があるので)、私はこう模索しているというだけの記事です。近いうちに、小熊英二『日本社会のしくみ』(講談社現代新書)を読みます。その後は久保明教『ブルーノ・ラトゥールの取説』(月曜社)予定。いつか著者の方を勉強会にお呼びしてお話いただくこともできたらと思っている。

     

    【追記 曚海Δ笋辰峠颪と、科研にしろ勉強会にしろ、研究仲間の存在やそれに結びついた約束や締切が、情緒的かつ道具的に自分の研究活動を支えているとあらためて感じる。

     

    【追記◆曚匹工夫しても研究時間を【全く】確保できないという状況ではないのだろう。そういう意味でこのタイトルは正確ではなく、「研究モードに入るのが難しい状況があるから勉強会をやることにしました」のほうが正確かもしれない。

     

    *あくまで勉強会は「インプット」の試み・時間であって、論文執筆「アウトプット」の時間をどうよい形で析出するかは違う形で模索中。

    学生が「教育社会学」の授業で作成した問題

    • 2017.11.29 Wednesday
    • 22:23

    部屋を掃除していると、本棚の奥から「教育社会学期末レポート」なるクリアファイルが出てきた。ファイルを開けると、何年も前に自分が担当していた教職課程の授業(教育社会学)の期末レポートが出てきて、あらためて読むとどれも面白かった。

     

    何をテーマとするレポートを出すべきか当時とても悩んでいて、あれこれ考えたあげく、「そうだ、この授業の内容を踏まえて、学生自身にこの授業の試験問題を考えてもらおう」ということになり、学生には試験問題とその模範解答を作成・提出してもらうことにしました。

     

    以下、学生自身が作成した三つの問題です。文のねじれや表現で少し気になるところもありますが、そのまま引用します。なお、´は同じ学生が作成した問題です。

     

    **********

    ー業内で扱った志水宏吉の第三章「学力の基礎はどう形作られるか」(『学力を育てる』岩波書店、2005年)の中では、イギリスの教育社会学者B.バーンスティンの「言語コード論」が取り上げられている。彼は実証研究を積み重ね、“話し言葉の表出を規制する原理”と説明される「言語コード」という考えを導き出した。さて、言語コードは「精密コード」と「限定コード」に分けられるが、それぞれについて簡潔に説明せよ。

     

    ⊃靴燭忙纏を始めても辞職、あるいは何らかの理由で解雇され、ホームレス生活を送らざるを得ない人がいる。このような人たちを表わす問題を「意欲の貧困」と呼んでいるが、(1)「意欲の貧困」とはどのような状態のことを指しているのか。簡潔に説明しなさい。(2)また「経済的困窮」と「意欲の貧困」にはどのような関係があるのか。具体的な“溜め”の例を挙げながら説明しなさい。

     

    授業内で扱った広田輝幸の『日本人のしつけは衰退したか』では、子どものしつけの担い手としての、家族・地域共同体・学校の三者関係は、戦後の日本社会で大きく変化してきたことが述べられている。どのように変化していったのか、下記の単語を最低一回以上使用しながら述べよ。

     

    地域共同体 学校 家族 パーフェクトチャイルド パーフェクトマザー 責任 従属

    **********

     

    例えば、○○を踏まえて△△に関する理解が■■に到達しているかどうかがわかるように作問しなさい、というほど詳細な指示はしていなかったので、基本的には〈覚えている/覚えていない〉という次元での理解を問う問題文ではありますが、どれも決して簡単に解答できるわけではないように思います。

     

    学生自身が作問し模範回答も作成するというレポート課題を出したとき、学生たちは戸惑っていましたが、提出後に話を聞いてみると、結構面白がってやってくれたようでした。上記の問題が「最高」と言いたいわけではなく、またこのような課題が最適と考えているわけでもありませんが、「論題」を工夫すれば、学生はこちらが想像した以上に考えてくれるのだな、と感じたということです。

     

    本とファイルでぐちゃぐちゃになった本棚を整理すると、たまにはよいこともあります。

     

     

    「キャリア教育」と社会制度を結びあわせること

    • 2014.07.03 Thursday
    • 21:26
     現在「キャリア教育」の授業を担当しています。オムニバス授業を含めていくつか担当しているのですが、以下の話は自分単独でやっている授業の一つについてです。

     「キャリア教育」担当になったわけですが、さて何を扱うのかと悩みました。気をつけねばと思っていたのは、とにかく「就活の勝ち組へ!」と加熱させてばかりではいけないよなということです。就活が「成功」するのかそうでないのかは、当然のことながら学生の努力によってのみ決まるわけではなく、学生を受け入れる企業等の事情、そしてその背景としての社会経済状況があるわけで、学生の自助努力だけでどうにかなるわけでもないからです。そうしたことがあるにもかかわらず、教育・支援という名のもと、学生の気持ちを焚き付けてばかりいると就活時に様々な挫折を味わったとき(多くの学生が程度の差はあれ味わうと思います)、まさにその教育・支援が学生を追いつめることになりかねない、との懸念をもっているからです。

     また、こうしたことはそれまでの自分の授業からも感じていました。随分前になりますが、大学で授業をもつようになった頃、「フリーター」をテーマとして取り上げたところ(そしてそれは自分なりに「フリーター=若者の自己責任論」への批判意識もあり)、「就活で絶対に正社員になります」との反応が学生から少なからずあり、自分が何を伝えようとしていたのか深く反省するきっかけになりました。

     現在は、労働状況について考えてもらうことも行なっていますが(かつてとはやり方を変えているものの)、それだけでなく生活保護についても扱うようになり、ベーシック・インカム(BI)についても扱いました。BIについて様々な議論があることは知っていますし、社会保障制度についての授業ではないので丁寧に扱うことはできず、考えを深めるうえで至らない点があることも承知していますが、ともかく私たちの生活が労働のみによって支えられるわけではことをきちんと知ってほしいとの気持ちから、取り上げました。その国の社会保障制度のあり方が労働の在り方やそれへの私たちの意味づけを枠づけているということを知ってほしかったからです。BIについて扱ったのは、尊敬・敬愛する新谷周平さんの論考「ベーシック・インカム構想と勤労倫理:制度の是非から社会の観察と関与へ」(『千葉大学教育学部研究紀要』58)を拝読したこともその理由でした。

     「キャリア教育」に求められているのは、どのような中身を持つものであれ、不安定化する社会状況を“したたか”“しなやか”にわたっていくために必要とされる「能力」を学生につけることだと思います。しかしながら、現在の社会制度や経済状況を所与のものとしたまま、それにどう学生を「勝ち組」としてすべりこませるのかのみを「キャリア教育」が引き受けるとき、現在の状況の厳しさや理不尽さに適応し打ち勝てというメッセージしか発することができないのではないかと心配していますし、また「キャリア教育」担当の教員として悩んでいます。

     1回目の授業冒頭、自分自身のキャリアをどう計画しても、それがどうなるのかはその時々の社会制度や経済状況によって影響を受ける以上、自分のキャリアを考えるうえでも社会制度等についてもしっかり考えていきます、と伝えています。このように書ているからといって自信満々なのではなく、自分の「わかってなさ」を晒しているのではないかと恐ろしくなりますが、ともかく現在そのように授業を行なっています。「キャリア教育」についてはいずれきちんとした形で文章を書きたいと思っています。
     

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